2018年07月31日

幼児、児童、生徒、学生


 フェイスブックなどで、「私が中学校の学生だった時」というような表現を見ることがある。「老人性口害症候群」の私は、こうしたちょっとした言葉の使い分けが気になって、何か言いたくなる。

 ざっくり述べると、小学校入学前が「幼児」、小学生が「児童」、中等教育在籍者である中学生と高校生が「生徒」、それ以上の高等教育を受けている者が「学生」である。

 ただ、幼児も、特に1歳未満は「新生児」や「乳児」で、それ以降を「幼児」と区別することも多い。また、幼稚園や保育園に通う子は「園児」と呼ばれることも多い。

 そして、小学生は「児童」だが、児童福祉法では「満18歳に満たない子供すべて」が「児童」である。また、労働基準法では、15歳以下が「児童」である。

 ただ一般的に話したり書いたりする場合には、「児童」は小学生に対して使う。

 「中学生や高校生は『学生服』を着ているから、中学生や高校生も『学生』では?」と思う人もあるかも知れないが、学生服は、明治に東京帝国大学が決めた「詰襟型の制服」がルーツになっているもので、後年、高校や中学が制服として採り入れたのである。

 塾や社会人向けの各種学校などでは、大学生や社会人に対しても「生徒(さん)」と呼ぶことがあるが、これは「(教える側の)先生」対「(習う側の)生徒」という発想から来ているのであろう。

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posted by 赤井田拓弥 at 10:40| Comment(0) | 雑文

2018年07月30日

studentとは誰?


 ある TOEFL 対策の本に primary student(小学生)が何度が登場し、最初は a primary student なので「小学生」と訳されていたが、あとのほうで the student と略されると、その本の執筆者はそれを「学生」と訳していた。
 ふつう、日本では小学生を「学生」とは言わない。

 英語では園児を student 呼ぶことはまずないが、小学生を student というのはごくふつうである。私たちは「小学生」は pupil と習うかと思うが、日常生活では、小学生は a primary school student と言うのがふつうである。

 同様に、「中学生」は junior high school student あるいは junior high studentで、高校生は high school student である。

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posted by 赤井田拓弥 at 10:57| Comment(0) | 雑文

2018年07月29日

「やる」と「あげる」


 高島俊男氏の本に次のようなことが書いてある。

  「宿題を見てやる」と言えば自分の子であり、
  「宿題を見てあげる」と言えばよその子である。

 
 これに拠れば、「犬にえさをやる」と言えば自分の犬であり、「えさをあげる」と言えばよその犬になる。
 ただ、よその犬でも「えさをやる」が本来の使い方だろうが。

 ところが今では、自分の犬でも「えさをやる」と言う人は少なく、多くの人が「えさをあげる」と言うと思う。
 
 栗原小巻さんと、先日亡くなった加藤剛さん主演の『忍ぶ川』(昭和47年)という映画の中に次のようなシーンがある。
 
 小巻さんが、ある会社員と強引に交際をさせられ、そのことを加藤剛さんに告げるシーンである。

 小巻さんが「それで、その方が私の体をほしがり始めたんです」と言うと、加藤剛さんが「それで、やったのか」と問い詰める。
 
 この「やったのか」を「エッチしたのか」という意味にとって解説しているブログもある。結果は同じかも知れないが。

 今では「やる」を「与える」という意味にとらない人が多いのだろう。


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posted by 赤井田拓弥 at 12:50| Comment(0) | 雑文

2018年07月28日

無料ダウンロードキャンペーン。

今、ここで拙著の無料ダウンロードキャンペーン中。 さあ、どの本でしょうか。2冊あります。
posted by 赤井田拓弥 at 22:34| Comment(0) | 雑文

2018年07月27日

エレベーターに閉じ込められたこと


 昨日(2018年7月26日)に、東京都多摩市の建設現場で大きな火事があり、数人の死者と数十人のけが人が出た。

 ニュースで逃げ延びた作業員にインタビューしていた。その人が「ああ、もう自分はこのままここで死ぬんだろうなと思った」と答えていたが、よく分かる。

 実は私も、30年くらい前に「自分はこのままここで死ぬんだろう」と思った経験がある。

 ある古いビルで、エレベーターに1人で乗っていて閉じ込められたのだ。
 

 初めは、そのうちに動くだろうと思っていたが、ベルを押してもドアを叩いて呼びかけても、10分ほどは、何も応答は無し。

 そのうち、エレベーターの箱の中に煙が入って来はじめた。そして、外では救急車や消防車のサイレンの音が鳴り始めた。煙はどんどん濃くなっていった。

 私は、ビル全体が火事で、そのうち自分はエレベーターの中で蒸し焼きになって死ぬんだろうと覚悟した。遺書を書かなきゃとも思った。
 もし体が焼けるのだったら、遺書も焼けただろうけど。

 そうこうするうちに助け出された。
 実際には、エレベーターのワイヤーが外れ、そのまま回り続けたために、滑車か何かのオイルが焼けて煙を出していたのだった。
 
 それ以来ずっと閉所恐怖症だった。車を運転していて長いトンネルに入ると、途中で動悸が激しくなり、顔がほてってきた。

 しかし、10年くらい前から、エレベーターに1人で乗るのも、あまり苦にはならなくなった。

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posted by 赤井田拓弥 at 15:18| Comment(0) | 雑文

ゆで卵の時間


 テレビで半熟卵の作り方を見ていて、ふと思い出した。

 アメリカに行ってひと月ほど経ったころ、同じ大学に通う日本人4人で、サンディエゴに遊びに行くことになった。

 昼飯を食おうとファミリーレストランに入った。

 友人の一人がゆで卵を注文すると、ウェイトレスは How many minutes? ときいてきた。彼はとっさに、おそらく何も考えずに、Three minutes. と答えた。

 そして、出てきたゆで卵は、割ってみると、ほとんど生卵だった。

 ゆで卵は、実際には10数分はかかるようだ。

 当時、私たちはまだ二十歳ちょっとすぎの若造だったから、ゆで卵を作るのにどのくらいの時間がかかるかも知らなかったし、また、日本ではゆで卵を頼めば、出来合いのものが出てくるのがふつうなので、「何分ゆでますか」という質問が来るなど想像もしていなかったのである。

 そして、「アメリカでは何でも個人の希望を訊いてくるんだね」と、みんなで感心したのであった。

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posted by 赤井田拓弥 at 11:02| Comment(0) | 雑文

2018年07月26日

「ふれあい何々」という言葉


 高島俊男氏の『お言葉ですが…D キライなことば勢揃い』に、「ふれあい」という言葉が気色悪いと出てくる。
 「ふれあい図書館」とか「ふれあい体育館」とか。

 確かに、「ふれあい体育館」、「「ふれあいバス」、「ふれあい電車」などは、気色悪い。私もキライである。

 そして高島氏は、『学研現代新国語辞典』の「ふれあう」の項に「たがいにわかりあったような気持ちになる」という説明があることに、「これは傑作だ」と喝采している。

 辞書も捨てたものではない。

 私はこの辞書を持っていないので、ほかの小辞典でチェックしてみた。ある辞書の「ふれあう」の項には、次の説明があった。

   「接近した結果、両者の間に間隙が無くなる

 そして例文は、こうである。

   「唇と唇がふれあう」
 
 辞書の編纂者たちは、「手と手がふれあう」くらいでは物足りないと思ったのだろうな。

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posted by 赤井田拓弥 at 10:12| Comment(0) | 雑文