2018年10月29日

芋掘りの手伝いの続き


 昨日、ある畑での芋掘りを手伝いに行ったが、その畑の近辺は市街化調整区域で、街灯もなく、夜には本当に真っ暗になるところだという。
 
 プロの農家もいっぱいあり、2反はありそうな畑の作物がすべて大根だったり人参だったり、白菜だったり。それはそれはきれいに育って、葉も青々としていた。

 そして、農家の人がその畑に農薬散布していた。自身はマスクをして。
 
 いっしょに芋掘りの手伝いに行った人の話では、大根とか人参のような根菜類は2日か3日に1回くらいだけど、白菜やキャベツは、毎日散布しているよ、とのことだった。

 見ていると、地上に見えている部分にはていねいに、葉の上も裏もしっかりと散布していた。
 
 「ああ、あれがスーパーに並ぶのだなぁ」と思った。
posted by 赤井田拓弥 at 12:05| Comment(0) | 雑文

芋掘りの手伝い


 昨日の日曜日、我が家から5キロほど離れたところにある、93歳のお爺さんがやっている畑に芋掘りの手伝いに行った。
 
 そのお爺さんは、去年までは割と元気に畑仕事もできていたのだが、今年から急に歩くのが困難になり、頻繁に畑に出ることができなくなった。それで、そのお爺さんの又従弟の人(73歳)が、あまり手をかけなくてもよいようにと、さつまいもを植えた。1000本ほど。
 
 そのお爺さんは、手押し車に頼って300メートルくらいをゆっくりゆっくりと歩き、畑に行くことは何とかできる。畑に出ると、昔取った杵柄で、作業をするのは大丈夫だそうだ。
 
 先日、その又従弟の人と話していると、お爺さんが頑張って少しずつ掘っているけど、まだ大半が残っているということだった。それで、「今度の日曜日に晴れていたら手伝いましょうか」と申し出た。
 
 その又従弟の人がほかの人にも声をかけ、数人で昨日、手伝いに行った。
 
 そのお爺さんは午後には、手押し車を押して、畑にやってくるそうだったが、来なかった。手伝いに行ったみんなとは「疲れたんだろうね」などと話したりしていた。
 
 すべての作業が終わって、そのお爺さんの家に芋を届けに戻ったところ、庭の腰掛にぽつんと座ったお爺さんがいた。
 そして、その横には芋がいっぱい入ったショッピングバッグが5個並んでいた。その芋は、前に彼がコツコツと掘ったやつである。
 
 午後、そのお爺さんが畑に来なかったのは、私たちに帰りに持たせようと思った芋をショッピングバッグに詰めていたためだ。
 
 作業が本当にホントに遅いから、納屋から少しずつ運んで5つのショッピングバッグに芋を30個くらいずつ詰めたわけだから、ゆうに2時間はかかっただろう。
 
 涙が出た。

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posted by 赤井田拓弥 at 12:01| Comment(0) | 雑文

2018年10月05日

言語理解は常に言語表現に先んじ、そして大きく上回る。


 「親が子に習わせたいのは英会話」で、63%の親がそう希望しているというアンケート調査が出たそうだ。すぐにスピーキングという結果が出る学習方法が求められている。

 しかし、スピーキングができるようになるためには、語彙力文法力読解力といった基礎力が不可欠だ。こうした基礎力が備わっていないのにスピーキングを教えようとしても、時間がかかるだけ、空滑りするだけである。
 
 ノーベル賞を受賞した先生方は、例外なく「基礎研究が大切だ」とおっしゃる。そして、最近の日本は、拙速に結果を求めすぎると。

 英語教育もこれと同じなのだ。拙速にスピーキングを求めても、達成感を感じる学習者が少ないのは、基礎力をおろそかにしているからだ。
 
 さて、英語能力を次の4つに分けるのはよく知られている:
  リーディング
  リスニング
  スピーキング
  ライティング


 私は、こうではなく、次の2つに大きく分けて考えるべきだと思っている。

  理解言語: リーディングとリスニング
  表現言語: スピーキングとライティング


 理解言語は、自分で自分の進捗が判断できる。読んでみて、「これはまだむずかしすぎる」とか「これだったら読める」は、人に判断してもらう必要はない。
 リスニングも同じである。
 なので、理解言語は独学が可能である。

 いっぽう表現言語は誰かに判断しもらわないと、正しい英語なのか通じる英語なのかは、自分では判断できない。なので、表現言語は、独学で極めることはできないのである。

 もう1つ。「理解言語は常に表現言語に先んじ、そして大きく上回る」のである。つまり、理解言語をおろそかにすると、表現言語は絶対に追いついてはくれない。

 また、書店の学参コーナーには、文法、読解、単語対策しかなく、スピーキングの本がほとんどないという意見も多い。これを「時代錯誤」だとか「古色蒼然」と言う人もある。

 上で述べたように、自分で自分の学習進捗を実感できるのは「理解言語」であり、「表現言語」は、相手がいて判断してもらわないと、その進捗度が分かりにくい。

 こういうことからも、独学用のスピーキング対策本が生まれないのは、言わば当然のことなのである。

 ぜひ、ここもご拝読あれ。

posted by 赤井田拓弥 at 14:07| Comment(0) | 生活英語

2018年10月04日

初めて聞いて42年経っても忘れていない英単語


 一度聞いただけ、それも音声のみ。42年前。その後、一度たりとも聞いたり使ったりしたことがないのに、ずっと覚えている英単語がある。
 それは blister(手や足にできるマメ)である。

 42年前、初めてアメリカに行き住み始めてまだ1か月にもならない頃、その地を大雨が襲った。砂漠地帯なので、山からの洪水で、多くの家のプールや家の中に土砂が流れ込んだ。

 ある先生の家のプールや家の中に土砂が流れ込んだので、日本人留学生数人で、後片づけに駆けつけた。

 作業が終わったとき、手にマメができていることに気づき、先生のお嬢さん(当時小学校3年生)に「これは何という?」と訊いたところ、blister だと答えた。

 それだけである。後にも先にも、この単語を耳にしたのは、この時だけである。自分で使ったこともない。

 その後42年になるが、未だに覚えている。
posted by 赤井田拓弥 at 17:54| Comment(0) | 雑文

2018年09月28日

pupil(児童)は、日本語が語源。



 作ったのは、あの有名な札幌農学校のクラーク博士。
 クラーク博士が日本に来た1870年代までは、児童を表す英語の表現は primary school student あるいは elementary school student しかなかった。

 博士の農学校時代、珍しいからと、いろいろな学校の児童や生徒が見学にやって来た。小学校低学年の児童たちは言うことを聞かずうるさい。

 手を焼いた博士が付き人に「何ですか、あの子たちは?」と訊くと、付き人は「ガキですよ。まだヒヨコ。ピヨピヨです」と答えた。

 「ピヨピヨ」という響きが気に入った博士は、早速、国の友人たちに手紙を書いた。

 ただ piyopiyo ではただの onomatopoeia にしか思えないので、「児童」という名詞らしく表現するために、発音の似た pupil というつづりを思いついたというわけである。


 この話はデタラメである。


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posted by 赤井田拓弥 at 09:27| Comment(0) | 雑文

2018年09月11日

メキシコの人たちは、冷たいものを食べない。

 
1か月超ぶりくらいで、昼飯にラーメンを食った。
 ラーメンは大好きなのだが、この夏は猛暑で、熱いものを口にする気が起きなかった。
 
 30年ほど前に、アメリカの大学時代の先生が、ご夫婦で真夏に東京を訪ねてこられた。
 銀座を案内していてお昼どきになり、うどん屋に入って「暑いから冷たいそうめんはどうですか」と勧めたところ、「メキシコでは冷たいものを食べる習慣がない」と言われ、ご夫婦とも熱いうどんをふうふう言いながら食べておられた。

 先生ご自身はお母さんがメキシコ人で、彼女はアメリカ生まれ、ご主人はメキシコからの移民なので、生活はメキシコふうなのだった。
 
 メキシコの人たちが冷たいサンドイッチを食べ始めたのも、つい最近、70年代の半ばあたりだということだった。


 これは大根です。
   ↓
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posted by 赤井田拓弥 at 13:56| Comment(0) | 雑文

2018年09月05日

学校での名簿


 ある新聞に「混合名簿」のことが載って話題になっている。つまり、従来「男女別」の名簿が多かったところを、男女混合の名簿にしたという記事である。

 小学校と中学校では、男女別だったか混合名簿だったかの記憶がほとんどないが、高校では確実に男女混合だった。つまり、男子も女子も五十音順に並んだ名簿だった。

 私の「赤井田」よりも五十音順で前に来る姓は、青木、相川、相原など数多くあるが、私は小学校から大学までずっと名簿では1番だった。名簿ではネ。

 「幼稚園では?」

 私は幼稚園には行っていない。当時、屋久島には幼稚園や保育園はなかったのだ。確か私が5年生のときに幼稚園ができ、近所の裕福な商店の子が生き始めたのを覚えている。

 五十音順の名簿では常にトップだった私が、名簿で1番ではなかったことがある。小学校の3年生か4年生のときだったと思う。
 五十音順で「赤井田」より前に来る苗字の子が転校してきたわけではない。
 
 なんと! 住所別名簿になったのだ。こんな名簿になった経験のある人は、ほとんどいないのではないだろうか。

 学校から東周りにいちばん近い子が1番で、順にぐるっと辿って南のほうから西へ回り、学校の西側でいちばん近い子が最後になるという名簿である。

 学校の北側は飛行場の滑走路と海なので、家はない。
 
 これはたぶん、新学期に先生が家庭訪問をして記録を付けやすいようにしたのだと思う。
 
 確か、1年だけで元に戻ったが。

 幼稚園のことに話を戻すと、高校のとき、幼稚園に行ったことがある同級生が2人いた。1人は福岡から屋久島にやってきた男で、もう一人は教師の息子。
posted by 赤井田拓弥 at 16:29| Comment(0) | 雑文