2013年11月13日

元 「読奨生」 の西の空  『鳥かごの詩』 ― 15


アメリカの大学探しと新聞配達終了

 留年が決まった1976年1月16日の時点では、まだ行ける語学学校や大学は決まっていなかった。

 留年は決まってしまったので、アメリカに行かなければならないことは決定した。いろいろと資料集めをし、私の拙い英語で、いくつかの大学に手紙を書いた。
 すると、カリフォルニア州にある大学の ESL (English as a Second Language) プログラムの責任者から手紙が来た。
 「いつ来る予定か、今はどういう状況にあるのか」などなど、いろいろな質問が書いてあった。それで、すぐに返事を書き、その後、その責任者の人とは数度の手紙のやりとりが続く。


 第二次世界大戦後のインドシナ戦争を経て、長いベトナム戦争が事実上終結したのは、1975年4月だった。私が上記の責任者と手紙のやりとりを始めたのは1976年1月。ベトナム戦争終結のほぼ1年後であった。

 あとで、このベトナム戦争がなんとなく関係していたのではないかと知るのだが、手紙には「授業料は無料である」と書いてあった。
 とても信じられないので、再度手紙で問い合わせたが、「心配ご無用。授業料は要りません。教科書も無料だ」とあった。そして、学生ビザが取れるように、I−20を発行するので、いろいろと情報を送れとあった。


 3月になり、新聞配達のほうでは、奨学新入生への研修や、私の区域の配達を担当する後輩に配達手順やいろいろな業務の引き継ぎなどを経て、4年間の契約も無事終了した。

 こうして、私の 「鳥かごの詩」 生活が終わったのである。

 大学のほうは、規定の教科を修了し単位も足りていたが、卒論を提出していないので、私は留年した。級友たちは卒業した。

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 「鳥かごの詩」 としての記事は、これで修了です。今後、語学留学のアメリカでの生活を書いていくかもしれません。


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posted by 赤井田拓弥 at 10:01| Comment(2) | 鳥かごの詩