2017年03月23日

45年が過ぎた。


 45年が過ぎた。1972年3月23日は、私の大学受験の日だった。経済的なこともあり、私は1つの大学しか受験しなかった。

 それまで聞いたこともなかったが、小倉には祖母の従妹が住んでおり、若松区には祖母の姉、私の大伯母、が住んでいるのだった。
 それでなんと、私の大学受験に祖母がついていくことになった。もちろん、それまで私がずっと「バァちゃん子」であったこともある。
 
 祖母の従妹の家に泊めてもらった。北九州の路面電車での乗り換えも無事にこなし、受験を終えた。
 受験後、もし合格したら新聞配達をしながら育英奨学生になる予定だったので、新聞社の奨学会にも挨拶に行った。

 生まれて初めてエレベーターなるものに乗ったのも、このときである。屋久島にはエレベーターなんてなかったし、中学や高校の修学旅行のときも、不安で乗ったことはなかった。

 高校時代の全国統一模試やそのほかの成績から、合格はほぼ見込めない状況だったので、受験が終わると、若松区にいる大伯母に会ったりしたあと、合格発表など見向きもせずに、鹿児島に帰った。

 合格するとは思っていなかったので、屋久島で「自宅浪人」をすることになるのだろうなと思いながら、祖母と鹿児島の吹上町にある先祖の墓参りなどをしているとき、大叔父(祖母の弟)に、「おめでとう、合格したってね」と言われてびっくりした。

 小倉の祖母の従妹の息子が、大学まで合格発表を見に行ってくれ、屋久島の父に電報を打ってくれたのだった。

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posted by 赤井田拓弥 at 23:15| Comment(0) | 雑文