2014年01月07日

七草祝い


 今日は七草の節句。

 私が小さい頃は、屋久島では七五三の祝いをする家はなかったのではないだろうか。今日1月7日が7歳の祝いの日である。これは、女の子も男の子も同じである。
 
 数えの7歳になった1月7日に、晴れ着を着て、親戚や同じ集落の親しい家を7軒、七草がゆを重箱にもらって歩く。今では、当然、車で移動する家庭もあるだろう。

 屋久島でも、民家が密集している集落では、川を渡ることなく7軒を回ることになっているらしいが、私が生まれ育った長峰という集落は、戦後に入植した人たちが多く、一軒一軒が離れているところが多い。なので、私は父に連れられ、途中、2本の川を渡って長峰集落の西の端から東の端まで歩いた。

 私が七草がゆをもらって歩いた家は、父や母と同じ郷里の吹上 (現 日置市吹上町) から来た人たちだった。

 その家の人たちとは、毎年正月2日に、「吹上会」 といって持ち回りでその年の担当の家に集まって新年会を開いていた。そうした家が我が家を含めて、長峰集落に7軒あったから、七草祝いで私が回ったのは、吹上会の家プラス1軒だったはずだが、その1軒がどこだったのか、私の記憶にはない。

 七草がゆをもらう家を訪ね、祝儀のお金とお椀に1杯ずつの七草がゆを重箱に入れてもらう。7軒回ると、重箱がいっぱいになる。

 七草がゆは、お椀に入ったものをひっくり返して重箱に入れてもらうから、汁気はなく、やや硬めのおじやのような感じだった。中にが入っているので、家に帰って夕方食べる頃には中の餅が固くなっている。なので、蒸し直して食べる。


 これが、鹿児島では七五三の代わりで、薩摩藩の時代からの行事である。鹿児島では、ほかの地方で行われている11月の七五三の行事は、つい数十年前までは行われていなかったらしい。


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posted by 赤井田拓弥 at 23:19| Comment(0) | 屋久島のこと
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