2013年11月12日

元 「読奨生」 の西の空  『鳥かごの詩』 ― 14


人生のモラトリアム

 前回の記事にも書いたように、やくざ風貌をした新聞の読者に 「英語ができんのぅ」 と言われたことが決定打になったのだが、大学での勉強が満足できるものではないと自覚していたことなどもあって、就職を先延ばしにし、1年か2年、アメリカに行きたいという気持ちが、どんどんとふくらんでいった。

 「金はない。英語力もない。どうやったら留学が可能か」を模索し始めた。そして、就職を先延ばしにすることを、自分では「人生のモラトリアム」と呼んで、ひそかに楽しんでいた。
 不思議なことに、「私が非喫煙者である理由(わけ)」で書いたような、時間に対する病的な考えは少しずつゆるくなり、友人と飲んで話をすることも増やしていった。


 ある夜、飲みながら、友人の一人と「人生のモラトリアム」について話したことがある。私が卒業を1〜2年延ばそうとしていたことの意義についてである。
 その友人は、次のようなことを言っていた。

 オレはモラトリアムは損だと思うね。就職が2年遅れると、当然、初任給や昇給も、人に遅れを取ったままが続くことになるし、退職金や年金にも影響が出るのは必至。だから、オレは留年はしないし、留学もしない。


 私は、確かに金銭的には不利だろうが、2年間の経験が、人生でのいろいろなつまずきの際に思い出され、彩りを与えてくれるのではないかと考えているというようなことを話した。


 当時の北九大は、最大2年間休学できた。そして、休学期間中は授業料を払わなくてもよかったのである。この制度を使うことにした。

 なぜ卒業して就職浪人という方法を採らなかったかというと、当時、就職浪人は新卒に比べて不利だと言われていたからである。就職の応募条件に「新卒に限る」という文言があったりした。留年しても新卒という考えがあったように思う。

 卒業に必要な単位は、なんとかクリアしている状況ではあった。なので、卒論を提出すると、おそらく自動的に卒業となるであろうと思われたので、卒論を提出しないことにした。
 ただ、途中で状況が変化したり私の気持ちが変わったりすることもあるかもしれないと思い、卒論は書いておくことにし、提出期限の1976年1月16日正午までには、一応書き上げてはいた。

 この日(1976年1月16日)、いつものように朝刊を配り終えて部屋に帰り、ひと眠りして目覚めたのは11時頃だった。そして、出かける準備をしながら、12時まで悶々と過ごした。


 正午。

 まだ部屋にいた。そして、卒論の提出期限が過ぎていき、留年が決まったのであった。



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ペンタスの花。 


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ピラカンサスの実。

 
posted by 赤井田拓弥 at 11:28| Comment(0) | 鳥かごの詩
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