2013年11月01日

元 「読奨生」 の西の空  『鳥かごの詩』 ― 13

私に留学を決断させた出来事

 大学に入るときは、新聞記者になって海外特派員になりたいという希望 (夢) を持っていた。外国語学部を選んだのも、そういった理由からである。
 一方で教師になりたいという気持ちもあったが、これは、履修届けを出すときに、早くも断念せざるを得なかった。なぜだか、教職課程の教科の授業が午後4時以降になっていたのだ。
 夕刊配達のために4時までには店にいなければならず、それ以降の授業を受けられなかった。


 1年次と2年次は、淡々と授業に出、単位を取ることと新聞配達をこなして過ごすことで日々を消化していった感じである。

 当時の北九大では、2年次から3年次に進むときに一次関門があった。つまり、単位数が少なかったり必要科目を履修していなかったりだと、2年次を留年させられるわけである。

 私は辛うじてパスし、3年次に進級できた

 「あのときは頑張って勉強したなぁ」と思える時期が3度ある。大学受験前の数か月とアメリカの大学でのある時期、そして、この2年次から3年次に進級する後期試験前の1か月半である。


 話は変わって、今では車の「3ナンバー」はごくふつうに見られるが、40年前の小倉では「3ナンバーには近づくな!」と言われていた。3ナンバーの車はやくざが乗っているというわけである。

 その3ナンバーの車を持っている家が、私の配達区域にあった。やや大きな屋敷でもあった。私がそういう目で見たからかもしれないが、そこのご主人は見るからにやくざっぽい風貌でもあった。


 3年の後半になってくると、友人たちとの会話も就職や進路のことが多くなってくる。みんなけっこう具体的な職種や会社のことを話題にしていたが、私は具体的に何も動いていなかった。単位だけはなんとかこなしていたが、優(A)、良(B)、可(C)の C ばかりだった。

 3年の後期の授業が始まってすぐのころだったように記憶しているが、夕刊を配達していると、上の3ナンバーの人に呼び止められた。

 「読売さん、あんた、米英やったかのぅ」 ← 「米英」の意味は、この記事をご覧あれ。

 「こんな英語の手紙が来たんやけど、見てもらえんかね?

 夕刊の配達途中だったが、その人が持っていた英文の手紙(便箋1枚くらい)をざっと読んだが、まるっきり分からない。そこで、「今配達中なんで、あとでまた来ます」と逃げた。

 配達を終え、晩飯を食ってから、辞書を持って出かけた。

 応接室に通され、そこで手紙を読み始めたが、ほとんど断片的にしか理解できない。焦った。それで、「持って帰って調べ直して来ます」と言ったのだが、そのやくざ風貌のご主人に

もうええ、あんた英語できんのぅ。オレにはだいたい意味は分かっちょるけ、ええんよ。もうちょっとはっきりさせたかっただけや

と言われてしまったのである。


 打ちひしがれて帰った。部屋に帰る道すがら、「このまま卒業はできない。就職もできない。なんとかしよう」と思い続けた。

 この出来事が、私が留学したいと決意した大きなきっかけとなったのは事実である。
 

 今になって思い起こすと、その英語の手紙は、いわゆるネイティブ・スピーカーが書いた英語ではなかったのかも知れない。つまり、文法的に間違いが多い手紙だったのかも知れない、とも思っている。
 
posted by 赤井田拓弥 at 19:31| Comment(0) | 鳥かごの詩
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