2012年05月29日

「生活英語」のこと ― その2


 またちょっと長文です。

 前の記事で紹介した Cover me. I’m changing lanes. の解説をいたしましょう。これは、次のような意味合いです。

 「これから車線変更をしようと思うんだけど、私はヘタだから、心配。追突されるかも。私の車の後ろを走っているあなた、私といっしょに車線変更して、もし追突されるようだったら、あなたの車が犠牲になって」

 夏目漱石がロンドンに留学中、英語に悩み病んだという話は有名ですね。そのため、「漱石は英語ができなかった」と言う人もあるようですが、とんでもない、漱石の英語運用能力はまるでネイティブ・スピーカー並みだったようです。

 『英語教師 夏目漱石』(川島幸希著、新潮選書)という本では、漱石の英語能力がいかに高かったかを、彼が実際に書いた英文などを交えて検証しています。ただ、ロンドンに着いた当初、漱石を悩ませた1つに「コックニー」と呼ばれる発音があったようです。ですが、それはすぐに克服したと書かれています。

 ちなみに「コックニー発音」というのは、オードリー・ハップバーン主演の『マイフェアレディ』の中で、主人公のイライザがヒギンズ教授によって発音矯正の訓練を受ける場面で出てきます。

 The rain in Spain stays mainly in the plain.
   「スペインの雨は主に原野に降る」

 これを、コックニーでは次のように発音します。
 [ザ ライン イン スパイン スタイズ マインリィ イン ザ プライン]

 このコックニー発音の流れがオーストラリア発音として残っていますね。

 ものの本やインターネットの Wikipedia などによると、漱石は日本文学と英文学の相違に悩まされていたそうです。そして、人との接触を避け、下宿に一人こもり研究に没頭しはじめたそうです。

 人と接触しなかったとなれば、漱石が理解に苦しんでいたのは、あんがい、この「生活英語」だったのではないでしょうか。

 私が今まで述べてきた「生活英語」は、専門的には「レアリア」と言うものでしょうか。千野栄一氏が『外国語上達法』(岩波新書)という本の中で、このレアリアのことを「言語外現実の知識」と表現し、「レアリアというものは、学問のように体系だったものではない」と述べています。

 ですから、「社会言語学」とも違うでしょう。そして、「その蓄積は常識の一部をなすものであり、外国語の上達のために必要である」と述べ、最後に次のように書いています。

 母語の話し手が持っているレアリアに絶えず近づくことによってレアリアの量が増し、よりよくその外国語が理解できるようになるのである。そこでその外国語を支えている文化、歴史、社会……という様々な分野の知識を身につけておけば、それは外国語の理解の際に、まるでかくし味のようにあとから効いてくるのである。(p.193)
 
 
posted by 赤井田拓弥 at 16:24| Comment(0) | 雑文
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