2018年07月18日

『郷ひろみのNew York Voice』― その1


 昨日、1980年代はタレントを使った英語教材が盛んだったと書いた。そして、1986年には、中年以上の人であればほとんどの人が知っているかも知れない『小林克也のアメリ缶』が一世を風靡した。その教材を制作したのが、私である。
 ここをご覧あれ。

 そして、発売から1年近く経った1987年の夏前、『小林克也のアメリ缶』の制作者が私であることを知った、あるリゾートマンションの会社が英語教材を作りたいとアプローチしてきた。
 その会社がハワイに作ったリゾートマンションの販売キャラクターとして郷ひろみ氏を採用し、そのタイアップとしての教材制作だったようだ。

 『郷ひろみの New York Voice』というタイトルで売り出したいと。

 当時、郷ひろみ氏はニューヨークに住んでおり、1987年の8月末に一時帰国するので、その機会に収録したいというスケジュールになっており、そのため、私は1か月足らずで原稿と収録台本の執筆に追われた。ホテルに缶詰にされたこともある。

 原稿と台本の執筆が終わり、郷ひろみ氏は9月半ばまでは帰国しないだろうということになり、私はその間隙を縫って屋久島に帰省することにした。9月初めのことだった。

 屋久島に4日ほど滞在した頃、台風が近づいていることが分かり、滞在を延ばしてその台風をやり過ごすことにした。すると、東京から電話がかかってきた
 当時はまだ携帯電話などはない時代なので、万一に備えて屋久島の親元の電話番号を教えておいた。

 電話は「郷さんが急に帰国することになったので収録する。赤井田さんもすぐに東京に戻ってきてほしい」という内容。

 台風をやり過ごして帰京しようと思っていたので、のんびりしていたが、急遽、空港に駆けつけて空席状況を問い合わせると、「台風が近づいているので、この便が最後」という飛行機の切符が何とか取れた。

(次に記事に続く)
posted by 赤井田拓弥 at 13:46| Comment(0) | 雑文
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