2018年07月18日

『郷ひろみのNew York Voice』― その3


 屋久島から帰京した翌日、さっそく、郷ひろみ氏を迎えて収録を行った。

 アメリカ人のナレーター3人と郷ひろみ氏。朝10時から昼食をはさんで午後5時まで。郷氏がニューヨークのマンハッタンをアメリカ人たちと一日旅行をするという設定だった。

 私の役目は、郷氏の発音やイントネーションを教えたり修正したりすること。

 収録の仕事はけっこうハードなので、1時間ごとくらいには休憩をはさむ。

 当時、郷ひろみ氏は新婚ほやほや。新妻の二谷友里恵さんも、途中から録音の応援に駆けつけた。休憩中に控え室のソファーで私が休んでいると、彼女がやってきて、「ボールペンを持ってらっしゃいません?」と訊いてきた。

 持っていたペンを貸してあげると、ピンク電話(当時はまだ携帯電話は普及していない)から「もしもし、原武でございます」と言っているのが聞こえた。郷ひろみ氏の本名は「原武」である。

 二谷友里恵さんに貸して戻ってきたボールペンは、「これは二谷友里恵が触れたペンだ」と大事に取ってあったが、いつのまにか失くなってしまった。


 以上『郷ひろみの New York Voice』制作秘話でした。

 この写真は、収録時に撮ったもの。屋久島でさんざん日光に当たってきて、私の顔は真っ黒。

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posted by 赤井田拓弥 at 14:54| Comment(0) | 雑文

『郷ひろみのNew York Voice』― その2


 屋久島から鹿児島へは、通常、飛行機で35分程度である。

 その日は台風が近づいていることもあり、私たちが搭乗してエプロンに待機しているときから強風にあおられ、機体がぐらぐらと揺れていた。

 これでは離陸できないかと思えたが、とりあえず無事滑走して離陸。屋久島を出て内地(大隅半島)の上空にいたるまでは、そんなに揺れずにやや快適な飛行だった。台風の影響はなかったなと思ったほどだった。

 ところが、大隅半島上空に差しかかると事態は一変! 機体が揺れる、揺れる! グーッと降下して山肌が目の前に迫り「ああっ!」と思うと、またグーンと上昇して難を逃れる。が、上昇しながら、機体は横にスーッと流されていく。するとまた、グーッと降下して山肌に迫る。そして、上昇しながら流される、の繰り返し。

 キャビンアテンダントも「これは大した揺れではございませんので、皆さん、ご安心ください」とアナウンスするが、心なしか、その声も震えている感じ。

 あの日航機墜落事故からまだ2年ほどしか経っていないときだったので、さすがに、着陸までが長く感じられたし、肝を冷やした。私にとって、それまでの、そしてその後も、いちばん揺れてひどかった飛行体験であった。

 通常30分ちょっとで到着するのが、その日は1時間以上かかって、なんとか無事に鹿児島空港に着陸した。乗客みんなが拍手で喜びを表した。

 鹿児島空港から東京・羽田へは、機体が大きいし、台風からまだ遠いこともあって、ふつうの飛行だった。
posted by 赤井田拓弥 at 14:52| Comment(0) | 雑文

『郷ひろみのNew York Voice』― その1


 昨日、1980年代はタレントを使った英語教材が盛んだったと書いた。そして、1986年には、中年以上の人であればほとんどの人が知っているかも知れない『小林克也のアメリ缶』が一世を風靡した。その教材を制作したのが、私である。
 ここをご覧あれ。

 そして、発売から1年近く経った1987年の夏前、『小林克也のアメリ缶』の制作者が私であることを知った、あるリゾートマンションの会社が英語教材を作りたいとアプローチしてきた。
 その会社がハワイに作ったリゾートマンションの販売キャラクターとして郷ひろみ氏を採用し、そのタイアップとしての教材制作だったようだ。

 『郷ひろみの New York Voice』というタイトルで売り出したいと。

 当時、郷ひろみ氏はニューヨークに住んでおり、1987年の8月末に一時帰国するので、その機会に収録したいというスケジュールになっており、そのため、私は1か月足らずで原稿と収録台本の執筆に追われた。ホテルに缶詰にされたこともある。

 原稿と台本の執筆が終わり、郷ひろみ氏は9月半ばまでは帰国しないだろうということになり、私はその間隙を縫って屋久島に帰省することにした。9月初めのことだった。

 屋久島に4日ほど滞在した頃、台風が近づいていることが分かり、滞在を延ばしてその台風をやり過ごすことにした。すると、東京から電話がかかってきた
 当時はまだ携帯電話などはない時代なので、万一に備えて屋久島の親元の電話番号を教えておいた。

 電話は「郷さんが急に帰国することになったので収録する。赤井田さんもすぐに東京に戻ってきてほしい」という内容。

 台風をやり過ごして帰京しようと思っていたので、のんびりしていたが、急遽、空港に駆けつけて空席状況を問い合わせると、「台風が近づいているので、この便が最後」という飛行機の切符が何とか取れた。

(次に記事に続く)
posted by 赤井田拓弥 at 13:46| Comment(0) | 雑文