2018年07月12日

『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』

 リリー・フランキーさんの『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』は、彼の自伝小説で、ほぼ事実に沿っていると言われている。たぶん、そうだと思う。

 というのは、私が大学時代に育英奨学生として新聞配達していたときの読者の一軒に、本に書かれている描写とまったく同じ家があったからである。

 『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』の、文庫本だと21ページに、次のくだりがある。

   小倉の外れの田舎町。そこにオトンのお姉さんが嫁いだ
  家があった。ボクらはその親戚の家でお世話になり、
  オトンとの別居生活を始めることになった。
      (中略)
   立派な母屋があり、そこに義姉夫婦、二人の子供、
  義兄の両親が住んでいた。そして、母屋の並びには
  かなりの人数を賄える学生寮を二棟営むほどの裕福
  な家庭だった。


 「オトンのお姉さん」とあるので、主人公(リリー・フランキーさん自身のはず)の伯母さんにあたる人の家である。確かに、大きな屋敷と学生寮も、私が覚えている情景と一致する。

 「小倉の外れの田舎町」というのは、今の小倉南区蒲生というところ。そして、次の描写のところも、私の配達区域だった。

   小高い丘に立つ白い巨大な観音様が目印の幼稚園。

 「小高い丘」というのは鷲峯山で、幼稚園は「わしみね幼稚園」で、これは今でもある。

 夕刊の配達で販売店を4時過ぎに出て、このあたりに到着するのが、だいたい6時ちょっと前あたり。学生寮の夕食の準備が整う頃である。

 夕食がいなり寿司の日などは、その「オトンのお姉さん(リリーさんの伯母さん)」が「読売さん、おいなりさん食べていかれんね?」と言われて、食べて帰ることもあった。

 リリー・フランキーさんは1963年生まれなので、この描写の4歳のころというと1967年。私が彼の伯母さんの家に新聞を配達していたのは1973年〜76年なので、オーバーラップしていることはない。

 そして、この学生寮には、私の大学の同級生が2人住んでいた。
posted by 赤井田拓弥 at 12:35| Comment(0) | 鳥かごの詩