2017年01月31日

昨日の続き

 昨日のブログで、太宰治が入水自殺した玉川上水沿いを歩いたことを書きました。

 入水地点が、これです。

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 そして、遺体発見地点が、これです。

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 こうした写真を見て、多くの人が「こんな少ない流れで水死できるの?」という疑問を持たれるかもしれません。
 それで、出版社勤務で太宰治の担当編集者をやり、生前、太宰と多くの交流があり、遺体発見現場にも立ち会ったという、野原一夫という人が書いた『回想 太宰治』を Kindle で買って読みました。

 すると、当時(昭和23年)は、平素から水量は多かったようですし、さらに梅雨時期ということもあって、濁流がごうごうと流れ、捜索には多くの人が関わりましたが、たいへんな困難を極めたようなのです。
 それで、6月19日を期限に、3日か4日ほど、羽村の取水門を閉じるか小さくするかして、水量をかなり少なくしてもらったのだとか。

 太宰が発見された6月19日の前日には、太宰ら2人以外のもう一人の女性の水死体も見つかったようです。それほど、玉川上水に落ちたら助からない流れだったようです。

posted by 赤井田拓弥 at 10:25| Comment(0) | 雑文