2014年09月29日

島崎藤村が泊まったという宿

 長野県の松本市から美ヶ原高原を通って、車で長野県小諸市に旅行した。

 出だしで高速への入り方を間違えて1時間ほどロスしたため、松本城の中には入らなかった。市内で蕎麦を喰い、美ヶ原へ。
 昔、若かりし頃、下の写真のナナハンで、美ヶ原のビーナスラインを走ったりしたものだ。サイドステップで路面をこすりながら急カーブを曲がったりして。

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 9月末の高原はすでに寒かった。

 長く留まっていたいようなところだったが、夕方遅くにならないうちに小諸へ向かう。中山道は走りやすい。田んぼでは、稲刈りが済んではさがけしている稲もあり、稲刈り間近の黄金色も、またすばらしい眺めだった。

 小諸では、島崎藤村が『小諸なる古城のほとり』の千曲川旅情の歌を執筆したとされる、中棚荘という旅館の大正館にある「藤村の間」で寝た。

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 『小諸なる古城のほとり』の詩の最後のあたりに、次のくだりがある。
 
   千曲川いざよふ波の       岸近き宿にのぼりつ
   濁(にご)り酒濁れる飲みて   草枕しばし慰む


 この「岸近き宿」が、中棚荘。濁り酒も呑んだ。
 部屋の中にトイレがない昔ながらの造りだが、藤村が泊まった部屋だと思うと、なんだか感激した。

 翌朝、フロントでコーヒーを頼み、外の木陰で待っていると、「赤井田さま、お待たせしました」と言って、美しい女性がコーヒーを運んできた。彼女には、私の名前も告げていない。「部屋にお付けしておきます」と彼女は言ったが、私がどの部屋に泊まった客なのかも聞いてこないのに、である。

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 昨夜のちょっとしたやりとりで、私の名前が赤井田だと覚えてくれたのだ。これがソフトウェアというものだろう。この宿を好きにならせるのに十分であった。

 チェックアウトするのが惜しいくらいだったが、時間がきてチェックアウト。宿のすぐ近くにある懐古園を散策した。

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 懐古園には藤村記念館もある。

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 信濃線の小諸駅前には「停車場ガーデン」というきれいな公園がある。小諸市はいい所だ。
posted by 赤井田拓弥 at 14:38| Comment(0) | 雑文

2014年09月25日

アリのままで


 おとといの秋分の日も畑仕事だった。ひと休みして茶を飲んでいると、目の前にアリが何匹か歩いていた。そのうちの2匹を捕まえて、こう聞いた。

 「君たちはキリギリスにはなりたいと思わないのか。夏のあいだも、秋になっても楽しく歌って暮らせるぞ」

 すると、彼らは答えた。「いいのだ。僕らは アリのままで〜 土にもぐって〜 アリのままで〜 ご飯を蓄えるの〜

 そして、1匹が私に Let me go. と言った。 お、Let it go. ではないのか? もう1匹は Let us go. と言った。

 そして、彼らを解放してやると、1匹がもう1匹に Let’s go. と言った。

 それでいいのだ。君たちはありのままで。Let it go. Let it go.

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2014年09月24日

50年前の台風

 今年は、現時点(9月24日)で、台風は16号。9月下旬で16号というのは、今年は台風の発生件数が少ない感じである。

 なぜ9月下旬での16号は少ないと思ってしまうのかというと、私の頭には50年前の9月24日に屋久島を襲った台風20号のことが刻み込まれているからであろう。

 50年前(1964年)、私は小学5年生だった。9月24日、東京オリンピックが間近に迫っていた。もっとも、屋久島の者には、東京オリンピックは遠い存在だったが。
 この年、長兄が鹿児島にできた国立工業専門学校の入試に失敗し7月頃まで家にいたが、東京に出たいというので、7月の半ば頃、父が長兄を連れて上京した。
 父は、昭和8年から赤紙(召集令状)が来るまでの10年あまりを東京で過ごした経験があったため、20年ぶりの東京生活が懐かしかったのだろう、なんと2か月以上も東京に居続けた。そして、上の台風20号が屋久島を襲ったときには、まだ帰っていなかった。

 台風が襲った前日の9月23日は、我が家があった長峰集落にある長峰神社の大祭で、公民館で催し物があったため、家族で見に行ったが、台風が近づいているというので、早めに終わった記憶がある。屋外での出店や相撲大会などは中止だった。住民たちは、自分の家の台風対策が気が気ではなかったろう。

 台風の当日9月24日は、休校になった。我が家はブロック造りだったので、家屋全体が飛ばされるという心配はあまりなかったが、中学2年の次兄と私、そして母とで、ガラス戸に戸板を打ち付けたりして台風に備えた。

 その日は朝から暴風雨だった。何もなければ、台風が通り過ぎるのを家の中でじっと待つだけのはずだった。昼近くになって、南向きの玄関の戸板が飛ばされた。
 次にガラス戸が飛ばされてしまうと、風が家の中に入り、屋根がそのまま飛ばされるというので、飛ばされた戸板を探しに行くよりも手で支えていたほうがいいだろうということで、次兄と私とで、玄関のガラス戸をずっと持ち続けた。
 昼飯も祖母が握り飯を作って、手を離せない次兄や私の口に入れてくれた。ときどきやかんの口からお茶を注ぎ込んでくれたり、飴を口に入れてくれたりした。

 屋久島のすぐ西を通過したのが午後2時〜4時ごろで、午後5時に枕崎に上陸して、あたりが薄暗くなるまで、ずっと玄関のガラス戸を持ち続けた。8時間くらいだったろう。

 玄関のガラス戸は南向きなので、ときどき大風で家の向こうの木々が押し倒されるような感じでしなるのを見続けるのは、さすがに恐怖だった。私の記憶の中では、この台風が最も強いものである。

 記録には残っていないようだが、後日、瞬間最大風速は80メートルだったと聞いた記憶がある。我が家があった屋久島の北東部の長峰集落では、7軒が全壊だった。多くの家が半壊だったり傾いたりだったりした。幸い我が家では、瓦が数枚飛んだだけで、豚小屋などにも大きな被害はなかった。
 次の日に、全壊した家を見に行ったが、ほんとうに何も残っていなかった。家があった北側の畑に、家具や柱、瓦などがころがっていただけだった。

1964年の台風20号については、ここをご覧あれ。


posted by 赤井田拓弥 at 11:37| Comment(2) | 屋久島のこと

2014年09月19日

We wouldn't know until she looks back.

 A couple of months ago, just before the summer began, I happened to see a TV program about sex-related crimes that are often committed in summer. It was saying that it is effective if you often look back when you walk along a deserted road or path.

 Someone said, whenever he sees a signboard saying “Beware of Molesters,” he has a hard time restraining himself from adding “You will be OK” to the signboard.

 Another friend said he would want to say to a woman who comes out of an esthetic clinic: it seems to be a waste of money.

 Going back to the TV program above, the idea that looking back often is effective may be very likely. We wouldn’t know about it until she looks back.


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posted by 赤井田拓弥 at 10:37| Comment(0) | 雑文