2013年06月24日

赤井田農事通信 ― 夏至の頃


 空梅雨が続いたかと思うと、今度は長雨。
 昨日は運良く晴れてくれ、農作業ができました。疲れないうちに、早めに写真を撮っておきました。写真は、クリックすると拡大します。

 夏の定番、西瓜です。まだ雌花が咲く直前です。最初は、こんなに毛だらけなんですね。

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 今ではとてもポピュラーな夏野菜となったゴーヤです。赤ん坊です。

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 素直なキュウリがぶら下がっています。

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 ズッキーニは、たくさんできます。

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 カボチャはだいぶ大きくなりました。あと2週間くらいで食べられそうです。

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 白いなすびです。なすびを英語で egg plant と言いますが、卵のようにも見えます。そこからきたのでしょう。

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 アザミの花のように見えますが、これはゴボウの花です。あまり目にはしませんよね。

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 夏になったばかりだというのに、もうコスモスが咲いています。

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 ちょっと駆け足のブログでした。それでは。


posted by 赤井田拓弥 at 23:39| Comment(0) | 英語の表記法

2013年06月17日

時計草とかからん団子


 旧の端午の節句は6月12日(水曜日)でしたが、今日、屋久島ふう「かからん団子」を作りました。
 
 「かからん」というのは、サルトリイバラの鹿児島ふうの呼び方です。そのかからんの葉で包むので「かからん団子」。かからんの葉は、我が家から車で10分くらいの里山にたくさんあります。

 これがかからんの葉です。

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 よもぎは、私の畑で採れます。今年は、何回かに分けて採って冷凍しておきました。「屋久島ふう」と書きましたが、私の独自のレシピかも知れません。

 今日使ったのは、白玉粉700グラム、黒砂糖750グラム、ヨモギ700グラムだけです。この3つだけ。ヨモギが多いのが私のレシピです。下の写真で黒く見えるのは、ヨモギと黒砂糖の色です。

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 これが割と評判なんです。うまいですよ。


 今年は、我が家で時計草(パッションフルーツ)を育てて食べようと、庭に植えたところ、花が咲き始めました。

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 拡大して見ると、きれいな花です。
posted by 赤井田拓弥 at 00:02| Comment(0) | 屋久島のこと

2013年06月10日

ランチョ・ミラージュ、カリフォルニア


 カリフォルニア州のランチョ・ミラージュという町で、アメリカのオバマ大統領と中国の習近平国家主席が対談を行ったようです。

 このランチョ・ミラージュという町は、私が留学した大学がある町の隣町です。

 大統領と国家主席が対談した Sunnylands という visitor center は、あるゴルフコースの隣にあります。
 このゴルフコースは、30数年前は、ある個人の自宅でした。

 この家には、敷地の中に18ホールのゴルフコースがあり、庭師のための駐車場が200台分、そして、その庭師たちが車で来て給油するためのガソリンスタンドまでありました。

 その家の横に Bob Hope Drive という道路が通っていましたが、その家を通り過ぎるのにずいぶん時間がかかったことを覚えています。

 その家の隣がフランク・シナトラの家で、私は、花屋の配達で、フランク・シナトラの家に配達したことが、1度だけあります。

 門の前に立つと、Who is it? と門の上のスピーカーが叫びます。インターホンに向かって「花屋から配達に来ました」と言うと、Wait there! と言われ、待っていると、腰に銃を下げたガードマンがやってきます。

 門を入ると、すぐ右の駐車場にはロールスロイスが数台、その他、高級車が何台も並んでしました。

 ランチョ・ミラージュという町は、そんな町です。

 
posted by 赤井田拓弥 at 00:15| Comment(0) | 雑文

2013年06月07日

空梅雨の芒種のころ

 ひょんなきっかけから、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(リリー・フランキー著)を読みました。
 その初めのあたり(文庫本だと21ページ)に、次のようなくだりがあります。

 「小倉の外れの田舎町。そこにオトンのお姉さんが嫁いだ家があった。」

 そして読み進んでいくと、この「田舎町」というのは蒲生という集落のことで、「お姉さんが嫁いだ家」というのは、私が学生時代に新聞配達をしていたときの読者の家だということが分かってきます。

 「学生寮を二棟営むほどの裕福な家庭だった。」ともあります。この学生寮に、大学の同級生が2人住んでいました。
 その学生寮は賄い付きで、私が夕刊の配達でその学生寮のあたりにさしかかるのは、だいたい夕食の準備が整う頃でした。いなり寿司の日などは、たぶん、その「オトンのお姉さん」と思われる人が「新聞屋さん、おいなりさん食べていかれんね?」と言ってくれ、2個ほどいただくこともありました。

 この『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』に出てくる小倉弁は、かなり正統です。
posted by 赤井田拓弥 at 16:37| Comment(0) | 雑文