2018年11月15日

アクセントの来ない語頭の母音は消失する。

アクセントの来ない語頭の母音は消失する。

 例えば、Excuse me. の excuse は -cu- のところにアクセントがある。なので、速く言うと[クスキューズ ミ]のような発音になる。
 
 話は変わって、アメリカでは米をあまり食わないはずなのに、米の国(米国)という。なぜか。

 昔、外国名を漢字で書いていた頃は、アメリカを「亜米利加」と書いた。そして、ここでもアクセントの来ない語頭の「亜」が消失して「米国」となった。
  
 ちなみに、小麦粉を、私が子どもの頃は「メリケン粉」と言った。これも American flour が「アメリケン粉」と訳され、次第にアクセントの来ない「ア」が消失していったのである。
 
 頭は消失して薄くなるものである。私も例外ではない。
posted by 赤井田拓弥 at 16:56| Comment(0) | 雑文

2018年11月13日

おもしろい出会い。


 20年ほど前のこと、会社でアルバイト募集をした。
 もう面接をほぼ終わり、ある人に決めようと思っていた矢先、まだ面接できますかという電話がかかってきた。

 電話で話していて雰囲気がよかったので、「じゃ、面接に来てください」と言ったら、その夕方やって来た。
 
 会って話していると、すごくさわやかな青年だったので、決めようと思っていた人をやめて、彼に決めた。
 
 彼が勤め始めて2週間ほど経ったころの夕方、オフィスでちょっと飲みながら私のアメリカ時代のことを話していたところ、彼が「伯母がアメリカに住んでいるんですよ」と言う。
 
 で、話していると、私が住んでいた町に住んでいることが分かった。彼の伯母さんは彼のお父さんのお姉さんで、ユダヤ人の家に住み込み、家政婦さんをしていると言う。
 
 私が「僕がアメリカにいたときに知り合った人で、そんな人を知っているよ」と言いながら話をしていると、どうも、彼の伯母さんとという人は、私の知っている女性だと思い、「もしかしてあなたの伯母さんという人はタカコさんじゃない?」と言うと、「そうです」と。
 
 彼は家に帰ってから、その伯母さんに電話をしたそうだ。するとタカコさんは「よかった。タクヤさんがアメリカにいるときにいじめなくて」と言ったそうだ。
 
 私も「アメリカにいるときに悪いことをしなくてよかった」と思ったものだ。
 
posted by 赤井田拓弥 at 23:05| Comment(0) | 雑文

2018年11月01日

アメリカで最初にお世話になった人とおもしろいバイト

 
 下のスクリーンショットは、ネットで調べられるし地元の新聞にも出た訃報なので、よかろうと勝手に判断してアップすることにする。
 
 鹿児島県人会世界大会というのがあり、その「東京ウェルカムレセプション」というパーティーがあって、出た。そして、そこで不思議な体験をした。
 
 「世界大会」というだけあって、全世界から鹿児島出身者、あるいはその子孫の人たちが鹿児島に集まるのである。今年が明治維新150周年ということもあり、NHKの大河ドラマで『西郷どん』をやっていることもあろう。

 アジア方面の人たちは直接鹿児島に飛んだのだが、アメリカや中南米の人たちは、いったん東京に立ち寄り、次の日に鹿児島に飛ぶという予定だった。

 そのパーティーで、南カリフォルニアから来たというグループの人と話したところ、私が42年前にアメリカに行ってまもなく知り合った鹿児島出身の人(下の訃報に載っている人)を知っているという人に出会ったのだった。
 
 今朝、ネットで検索したところ、地元紙に出た訃報に行き当たった。ざんねんながら、4年前に亡くなっていたのだ。合掌。

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 アメリカから帰るときに挨拶もせずに不義理をしてしまったが、ときどき思い出す人だった。

 アメリカに行ってすぐの頃、彼からは庭師(ガーデナー)のアルバイトを紹介してもらったりした。その1つが、今思い出しても、時給にすると最も高いバイトである。
 
 アメリカの高級住宅の、庭に芝生を敷いた家では、秋になると夏の芝生の青さがなくなってみすぼらしくなるため、冬のあいだだけの青々としている芝生の種をまく。

 この作業は、まず、夏の芝生を地面ぎりぎりのところから芝刈り機をかけて削り取る。しかし、地中の根は残す。
 その上に冬用の芝生の種をまき、上から2〜3センチの土をかぶせる。そうすると、2週間くらいで、緑色の芝生がびっしりと芽を出してきて、冬のあいだ、きれいな庭が保てるというわけだ。
 
 この仕事を、中木原さんに紹介してもらった。1ドルが300円のときだ。

 このバイトを、確か450ドルで請けた。それを日本人の友人と二人で、3時間ほどで仕上げた。

 芝刈り機は中木原さんからただで借りた。種と土を30ドルくらいで仕入れたので、実質420ドルくらいが現金で手に入った。

 420ドルを2人で分けたので、1人210ドル。それを3時間で割ると、時給換算で70ドル。日本円にすると21,000円にもなるおいしいバイトだった。

 こんなおいしいバイトは、その後まわってくることはなかったが。
posted by 赤井田拓弥 at 20:01| Comment(0) | カリフォルニアの青い空

2018年10月29日

芋掘りの手伝いの続き


 昨日、ある畑での芋掘りを手伝いに行ったが、その畑の近辺は市街化調整区域で、街灯もなく、夜には本当に真っ暗になるところだという。
 
 プロの農家もいっぱいあり、2反はありそうな畑の作物がすべて大根だったり人参だったり、白菜だったり。それはそれはきれいに育って、葉も青々としていた。

 そして、農家の人がその畑に農薬散布していた。自身はマスクをして。
 
 いっしょに芋掘りの手伝いに行った人の話では、大根とか人参のような根菜類は2日か3日に1回くらいだけど、白菜やキャベツは、毎日散布しているよ、とのことだった。

 見ていると、地上に見えている部分にはていねいに、葉の上も裏もしっかりと散布していた。
 
 「ああ、あれがスーパーに並ぶのだなぁ」と思った。
posted by 赤井田拓弥 at 12:05| Comment(0) | 雑文

芋掘りの手伝い


 昨日の日曜日、我が家から5キロほど離れたところにある、93歳のお爺さんがやっている畑に芋掘りの手伝いに行った。
 
 そのお爺さんは、去年までは割と元気に畑仕事もできていたのだが、今年から急に歩くのが困難になり、頻繁に畑に出ることができなくなった。それで、そのお爺さんの又従弟の人(73歳)が、あまり手をかけなくてもよいようにと、さつまいもを植えた。1000本ほど。
 
 そのお爺さんは、手押し車に頼って300メートルくらいをゆっくりゆっくりと歩き、畑に行くことは何とかできる。畑に出ると、昔取った杵柄で、作業をするのは大丈夫だそうだ。
 
 先日、その又従弟の人と話していると、お爺さんが頑張って少しずつ掘っているけど、まだ大半が残っているということだった。それで、「今度の日曜日に晴れていたら手伝いましょうか」と申し出た。
 
 その又従弟の人がほかの人にも声をかけ、数人で昨日、手伝いに行った。
 
 そのお爺さんは午後には、手押し車を押して、畑にやってくるそうだったが、来なかった。手伝いに行ったみんなとは「疲れたんだろうね」などと話したりしていた。
 
 すべての作業が終わって、そのお爺さんの家に芋を届けに戻ったところ、庭の腰掛にぽつんと座ったお爺さんがいた。
 そして、その横には芋がいっぱい入ったショッピングバッグが5個並んでいた。その芋は、前に彼がコツコツと掘ったやつである。
 
 午後、そのお爺さんが畑に来なかったのは、私たちに帰りに持たせようと思った芋をショッピングバッグに詰めていたためだ。
 
 作業が本当にホントに遅いから、納屋から少しずつ運んで5つのショッピングバッグに芋を30個くらいずつ詰めたわけだから、ゆうに2時間はかかっただろう。
 
 涙が出た。

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posted by 赤井田拓弥 at 12:01| Comment(0) | 雑文

2018年10月05日

言語理解は常に言語表現に先んじ、そして大きく上回る。


 「親が子に習わせたいのは英会話」で、63%の親がそう希望しているというアンケート調査が出たそうだ。すぐにスピーキングという結果が出る学習方法が求められている。

 しかし、スピーキングができるようになるためには、語彙力文法力読解力といった基礎力が不可欠だ。こうした基礎力が備わっていないのにスピーキングを教えようとしても、時間がかかるだけ、空滑りするだけである。
 
 ノーベル賞を受賞した先生方は、例外なく「基礎研究が大切だ」とおっしゃる。そして、最近の日本は、拙速に結果を求めすぎると。

 英語教育もこれと同じなのだ。拙速にスピーキングを求めても、達成感を感じる学習者が少ないのは、基礎力をおろそかにしているからだ。
 
 さて、英語能力を次の4つに分けるのはよく知られている:
  リーディング
  リスニング
  スピーキング
  ライティング


 私は、こうではなく、次の2つに大きく分けて考えるべきだと思っている。

  理解言語: リーディングとリスニング
  表現言語: スピーキングとライティング


 理解言語は、自分で自分の進捗が判断できる。読んでみて、「これはまだむずかしすぎる」とか「これだったら読める」は、人に判断してもらう必要はない。
 リスニングも同じである。
 なので、理解言語は独学が可能である。

 いっぽう表現言語は誰かに判断しもらわないと、正しい英語なのか通じる英語なのかは、自分では判断できない。なので、表現言語は、独学で極めることはできないのである。

 もう1つ。「理解言語は常に表現言語に先んじ、そして大きく上回る」のである。つまり、理解言語をおろそかにすると、表現言語は絶対に追いついてはくれない。

 また、書店の学参コーナーには、文法、読解、単語対策しかなく、スピーキングの本がほとんどないという意見も多い。これを「時代錯誤」だとか「古色蒼然」と言う人もある。

 上で述べたように、自分で自分の学習進捗を実感できるのは「理解言語」であり、「表現言語」は、相手がいて判断してもらわないと、その進捗度が分かりにくい。

 こういうことからも、独学用のスピーキング対策本が生まれないのは、言わば当然のことなのである。

 ぜひ、ここもご拝読あれ。

posted by 赤井田拓弥 at 14:07| Comment(0) | 生活英語

2018年10月04日

初めて聞いて42年経っても忘れていない英単語


 一度聞いただけ、それも音声のみ。42年前。その後、一度たりとも聞いたり使ったりしたことがないのに、ずっと覚えている英単語がある。
 それは blister(手や足にできるマメ)である。

 42年前、初めてアメリカに行き住み始めてまだ1か月にもならない頃、その地を大雨が襲った。砂漠地帯なので、山からの洪水で、多くの家のプールや家の中に土砂が流れ込んだ。

 ある先生の家のプールや家の中に土砂が流れ込んだので、日本人留学生数人で、後片づけに駆けつけた。

 作業が終わったとき、手にマメができていることに気づき、先生のお嬢さん(当時小学校3年生)に「これは何という?」と訊いたところ、blister だと答えた。

 それだけである。後にも先にも、この単語を耳にしたのは、この時だけである。自分で使ったこともない。

 その後42年になるが、未だに覚えている。
posted by 赤井田拓弥 at 17:54| Comment(0) | 雑文